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もしも。。。。

まさかの病名を告げられた時の気持ち


・・・・・・・自分の過去の時間を思いめぐらせてみる。
紹介される病院で次々にさらに紹介状を持ち受診するうちに、自分の病状に不安が走る。
元気なのに、痛さだってそうないのに・・なんでこんな思いをしなくちゃならないんだろうと次第に更なる不安が襲いかかる。
「ここでは治療ができない。もし放射線で治療するならこちらでもできるからもどってきなさい」と送り出された癌センター。
そう、もう、ここに来ること自体・・そうなのか?と。
おかげさまで、今こうしていることは、あの時の新聞の健康欄での質問コーナーを読んで、
「なんなら私も耳鼻科へいってみようかな・・・」の軽い気持ちで行ったのがきっかけだった。
もし、その日のその新聞の投書欄を見つけていなかったら・・?
もし、病院へ行ってみようなんて思わなかったら?
もし、行った先の耳鼻科で紹介先の病院を違う病院で選んでいたら?(二つの病院を選択できた)
もし、紹介状は期限はないよ。と言われたことを鵜呑みにしていたら?
もし、その先の病院から出せる紹介状が他の二つ病院のどちらかにししていたら?(三つの病院を選べた)
もし、手術を半年待ってと言っていたら?(半年先までは待てない。なるべく早く手術した方が良いと言われた)
・・・もしも・・・・もしも・・・・
と、手術が成功で終わり、退院し日常生活を始めてからこういった内容が私の頭にいつもあった。
いや、今もあるが正しい。
特に最後の半年待てないというギリギリまで待ってもらっていたらどうなっただろう。
きっと、私は恵まれていたのだと思う。
ちょっとしたきっかけで、こうやってベルトコンベアーに乗せられたように次々と流れていった。

自覚症状がこんなものかと日常の生活で送っていたそのもの全てが病気の症状であったのかもしれないが
それが、長い生活のなかで普通だと思っていたので、自分を見つめる時間も家族に対してどうしたらよいかも
思いつかなかった。
そっけなく普通に告げられた病名。「がん」
午後の診察までお昼を食べてきてと言われても何も食べられずただただ、病院の付近を歩いていた。

夫にはその日に知らせたが、特に娘達にはいつ言うべきなのか・・ですごくすごく悩んだ。言おうと思っても言えない日が続いた。結局、言うのが送れて「何故直ぐに話してくれなかったのか」と責められた。
直ぐに打ち明けなかった事で傷つけてしまった事に今も申し訳なかったと思う。

手術事前のインフォームド・コンセントでは、長女は食いつく様に説明を聞き質問していた。私は何も考えられなくてボーッとしていた気がする。
そう、何もきちんと考えることも出来ずに入院・手術までの運びとなってしまった気がする。


事実、手術に形成外科の先生も一緒に参加することも直前に知ったし。
(チームを作って行う手術であること)すら知らなかった。いや、知るすべもないし、調べてもほとんどその病気に関しての情報がない。
一体、自分はこれから先どうなるのか?耳の形が変わるって?何?それでも、「わかりました」と返事をする自分は何なのだろう。
訳がわからない。何がどうなっているって?そのときの説明では、しっかり納得したように聞いている自分の姿がある。それは表向きだけできっと他人ごとで聞いていた。


術後から退院するまでは、もし?なんてことは全く頭になかった。
耳だって見た目には全く普通な耳介に直していただいたし。
これもきっと恵まれていたんだと思う
主治医にもラッキーだねと言われたし、事実こうして普通に日常を暮らしていけるからこそ、
「もし・・・」なんて考えるんだろうな。

術後には治す分、どこかに不具合が起きる。
それでも命をとるか、手術せずに余命を過ごすか・・。
自分に家族がいるならば、愛する人がいるならば、守っていかなくてはならない人がいるならば、生きましょう。
先のことは、先の不安はその時に考えましょう。
とにかく今は、今を乗り越えましょう。



ひとりじゃない。
ひとりで抱え込まないで。
いつでも待っています。辛い、怖い・・と思った時にあなたが来てくれること。
少しでも良い方へと一緒に考え一緒に進みましょう。
by noriko0113 | 2013-10-02 00:44

日常なかで、その日、その時に感じたこと・・ココロの扉を開けてみる 2006年右耳外耳道癌の手術をし 2011年無事に5年を迎えました。現在、手術後遺症:末梢神経障害による痛みと闘い治療中。

by noriko0113
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